2010年08月20日 00:06
サッカーの話題をしていて「じゃあ好きな選手は?」と聞かれると1番最初に彼の名前を言います。
マテヤ・ケジュマン
ユーゴスラビアリーグ得点王として2000年からオランダのPSVにやってきたケジュマン。彼を知ったのはこの時で、オランダリーグでも優勝に貢献し得点王、MVPにも輝いた。そして新任のジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーに移籍 2004-2005の1シーズンのみだったがこの頃リーグ、CLと殆どの試合を見ていたし今までの中で一番サッカーを見ていた一年だったので彼のチェルシーのイメージは強かった。
しかし背番号9を付けるものの他にドログバ、クレスポ、グジョンセンなどの強力FWがいたため控えが多く、いまいち結果を残せなかった。このシーズン チェルシーはリーグ優勝 トルコイスタンプール開催のCLはベスト4。新任で50年ぶりにリーグ優勝に導いたモウリーニョはすげぇ
決勝は忘れられない熱い試合ミランリヴァプール
2005年、スペインのアトレティコ・マドリードへ移籍。前々シーズン1部に復帰するも低迷を続けるアトレティコ、フェルナンド・トーレスのパートナーとして期待され移籍するも10位でシーズンを終える。
それよりも私は、このシーズンのアトレティコのユニフォームのかっこよさばっかに夢中だった( ゚∀゚)
スポンサーのバージョンが幾つかあって中でもスパーダーマンは最高!今でも高値で取引されているレア物
泣く泣く手放した一枚
そして2006年W杯ドイツ大会が開催 今は分裂されているが最初で最後のセルビア・モンテネグロとしてグループCに入る。しかしこのCは死のグループと呼ばれアルゼンチン、オランダ、コートジボワールと同組となってしまう。
0 - 1 オランダ
0 - 6 アルゼンチン
2 - 3 コートジボワール
と3戦全敗
予選ではスペイン、ベルギーなどと同組ながら6勝4分0敗16得点1失点で1位通過と素晴らしい結果だったので相当期待していた。が、2試合目のアルゼンチン戦の途中で希望は消えてしまった。
そして2006年W杯後ケジュマンがフェネルバフチェやってキタ━━(゚∀゚)━━!!!!!
EUROやW杯予選でクロアチアとトルコのサッカーにハマっていた私はフェネルバフチェとガラタサライをより一層好きになっていた(互いにもろライバルチームだが…)
ガラタサライには元インテルにいたハカン・シュキュールさんとスキンヘッドでお馴染みのハサン・シャシュさんがいた頃から好きだったしフェネルバフチェにはトゥンジャイ(コイツは良い選手)とアレックスがいた。
他のリーグと別の熱を持つトルコサッカーは熱い ダービーとなれば死人も出るという。
↓ こんな感じ?! ↓
ケジュマンがトルコに来て喜ぶ反面萎えた事もあった…
それは…
ジーコが監督としてフェネルバフチェに就任した事
本当にがっかりしたのを覚えている。
が!!しかし、ジーコはリーグ制覇とCLベスト8とやってくれました。
そして2007年にはトゥンジャイがプレミアのミドルスブラへ
2008年にはケジュマンがパリ・サンジェルマンへ去ってしまったので私のトルコサッカーへの熱も少し減ってしまいました 残念。(稲本がガラタサライに来た事はあえて触れません)
ケジュマンはフランスリーグの2シーズン目途中でロシアへレンタル。トルコやフランスもそうだがどんどん情報が取りにくくなってくる そしてロシア…
彼は今現在31歳だが未だクラブを転々。出場機会を求めるが成功までとはいかず、彼の移籍は上手くかみ合ってないような
ケジュマンが好きになったきっかけは裏への飛び出し。決定力もありスペースを見つけるのが上手くカウンターの時は見ていて面白かった。ルックスもブラピとベッカムを足して割ったような感じで髪型や刺青もインパクトがありました。サッカーゲームでも特別能力だ優れてなかったけど使いまくった選手なので愛着があった。今はロシアリーグにいるけど次はどこへいくのかなぁ~
マテヤ・ケジュマン
ユーゴスラビアリーグ得点王として2000年からオランダのPSVにやってきたケジュマン。彼を知ったのはこの時で、オランダリーグでも優勝に貢献し得点王、MVPにも輝いた。そして新任のジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーに移籍 2004-2005の1シーズンのみだったがこの頃リーグ、CLと殆どの試合を見ていたし今までの中で一番サッカーを見ていた一年だったので彼のチェルシーのイメージは強かった。
しかし背番号9を付けるものの他にドログバ、クレスポ、グジョンセンなどの強力FWがいたため控えが多く、いまいち結果を残せなかった。このシーズン チェルシーはリーグ優勝 トルコイスタンプール開催のCLはベスト4。新任で50年ぶりにリーグ優勝に導いたモウリーニョはすげぇ
決勝は忘れられない熱い試合ミランリヴァプール
2005年、スペインのアトレティコ・マドリードへ移籍。前々シーズン1部に復帰するも低迷を続けるアトレティコ、フェルナンド・トーレスのパートナーとして期待され移籍するも10位でシーズンを終える。
それよりも私は、このシーズンのアトレティコのユニフォームのかっこよさばっかに夢中だった( ゚∀゚)
スポンサーのバージョンが幾つかあって中でもスパーダーマンは最高!今でも高値で取引されているレア物
泣く泣く手放した一枚
そして2006年W杯ドイツ大会が開催 今は分裂されているが最初で最後のセルビア・モンテネグロとしてグループCに入る。しかしこのCは死のグループと呼ばれアルゼンチン、オランダ、コートジボワールと同組となってしまう。
0 - 1 オランダ
0 - 6 アルゼンチン
2 - 3 コートジボワール
と3戦全敗
予選ではスペイン、ベルギーなどと同組ながら6勝4分0敗16得点1失点で1位通過と素晴らしい結果だったので相当期待していた。が、2試合目のアルゼンチン戦の途中で希望は消えてしまった。
そして2006年W杯後ケジュマンがフェネルバフチェやってキタ━━(゚∀゚)━━!!!!!
EUROやW杯予選でクロアチアとトルコのサッカーにハマっていた私はフェネルバフチェとガラタサライをより一層好きになっていた(互いにもろライバルチームだが…)
ガラタサライには元インテルにいたハカン・シュキュールさんとスキンヘッドでお馴染みのハサン・シャシュさんがいた頃から好きだったしフェネルバフチェにはトゥンジャイ(コイツは良い選手)とアレックスがいた。
他のリーグと別の熱を持つトルコサッカーは熱い ダービーとなれば死人も出るという。
↓ こんな感じ?! ↓
ケジュマンがトルコに来て喜ぶ反面萎えた事もあった…
それは…
ジーコが監督としてフェネルバフチェに就任した事
本当にがっかりしたのを覚えている。
が!!しかし、ジーコはリーグ制覇とCLベスト8とやってくれました。
そして2007年にはトゥンジャイがプレミアのミドルスブラへ
2008年にはケジュマンがパリ・サンジェルマンへ去ってしまったので私のトルコサッカーへの熱も少し減ってしまいました 残念。(稲本がガラタサライに来た事はあえて触れません)
ケジュマンはフランスリーグの2シーズン目途中でロシアへレンタル。トルコやフランスもそうだがどんどん情報が取りにくくなってくる そしてロシア…
彼は今現在31歳だが未だクラブを転々。出場機会を求めるが成功までとはいかず、彼の移籍は上手くかみ合ってないような
ケジュマンが好きになったきっかけは裏への飛び出し。決定力もありスペースを見つけるのが上手くカウンターの時は見ていて面白かった。ルックスもブラピとベッカムを足して割ったような感じで髪型や刺青もインパクトがありました。サッカーゲームでも特別能力だ優れてなかったけど使いまくった選手なので愛着があった。今はロシアリーグにいるけど次はどこへいくのかなぁ~
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